2023年5月 私に、寂しいという感情が入った話

今年5月、1か月出張があった。毎週末実家へ帰った。金曜に帰り、月曜は実家から出勤した。去年まで、「別に用事ないから」という理由で全然実家に帰ってなかった。年に1回は帰るかなぐらい。それでも去年夏に帰った時、親とこの先何回会えるかわからないから、帰る回数を増やそう、と思った。今年5月帰ると、妹と姪がいた。帰ってると知らなかったのでびっくりした。法事も私と親だけ行くと思っていた。帰るとガレージにベビーカーが置いてあった。「〇〇(妹の名前)帰ってきてるん?」と母と話していると、2階から姪をだっこして妹が下りてきた。妹に会うのは2021年の結婚式以来。姪に会うのは初めてだった。姪は1歳1か月。第一印象は「赤ちゃん」だった。可愛い!とか、今思えばなかったと思う。そんなもんか。まだ触れ合ってないし一緒に過ごしてないし。「こんにちは」「はじめまして」と、赤ちゃんに話し掛ける言葉づかいで話した。まだ距離があったと思う。当たり前か。

 

次の日、実家1回目の土曜日。何も予定を決めてなかった。9時台に突然、姪と公園に行って来たら、と提案を受け、朝行く方が涼しいよ、とのことで、急いで化粧して出発した。ベビーカー押すのも赤ちゃんと2人で出かけるのも初めて。公園デビュー。自分がするなんて。面白かったし楽しかったしはしゃいだ。緊張は、、、したかな、忘れた。姪は公園に着いても一人で歩くのは怖いらしく、私の服や体をぎゅっと掴んで離さない。めっちゃ可愛い。本当に可愛い。小さい手でギュッと掴むのが。抱っこしてベンチに座ってベンチのふちを叩いてみたり、お菓子食べたり。私が滑り台すべりたくて姪を抱っこして1回すべった。良い滑り台だった。2時間ぐらいして家に帰った。次の日はもう一つ奥の広い公園まで足を延ばした。久しぶりに馬を見た。姪より私がはしゃいでいた。

 

赤ちゃんってこんなに可愛いの!?と衝撃的だった。友達の赤ちゃんには会ったことはあるけど、ま、可愛いねとか言うし少しは思うけど、やっぱり人の子なので遠慮があるし短時間しか過ごさないのでそんなに強く思うところはない。姪は身内なので、抱っこして振り回しても少々扱いが荒くても問題ない。実際に荒く接したわけではなく、気持ちの上で。友達の赤ちゃんと接するのとは訳が違う。ていうか、妹も親も私を信用しすぎでは?と思った。子育てしたことがない初対面2日目の叔母(私)に、いきなり2人で公園行かせるか?ま、そのへんのおおらかさというか身内の謎の信頼感?赤ちゃんの扱いについて細かくとやかく言う事も一切なく、なので私もおおらかにのびのび姪と2人で公園に遊びに行き過ごしたのだと思う。

 

浅田次郎のエッセイに、「小説家が犬を散歩させるのではない。犬に散歩に連れて行ってもらっているのだ」の旨記載あり。これを思い出した。まさにそう。私が姪を公園に連れて行っているのではなく、姪が私を公園に連れて行って遊んでくれている。完全に。

 

出張先では残業もなくスッと寮に帰り、一人暮らしの、私の物でごちゃごちゃと溢れかえった、荒れ地の魔女宅とは違い、慣れず、落ち着かなかった。最後まで、我が荒れ地の魔女宅が恋しかった。そんな中、スマホで撮影した姪の動画や写真を見て、心の底から、可愛いなぁと思い、抱っこした小さい体や、私に抱っこをねだる可愛い声を思い出して、あ~幸せ、早く会いたい、早く週末になぁれ、と思って過ごした。

 

毎週末、同じ公園や、違う公園に行き、ライブの音漏れを聞いたり、ベンチに座って馬を眺めたり、歩かせようと芝生で足を前に出させてみたり、家では抱っこして壁の写真や絵を見せたり、本を読んだり、ご飯を食べさせたり、1.2.3.4.・・・というでたらめな数え歌で姪が大笑いしたり、いないいないばあで大笑いしたり。姪をお風呂に入れた時、お風呂グッズ、アヒルやカエルやイカなどの小さいぷかぷか浮くおもちゃのお友達、を、お風呂のふちに並べたとき、お湯に浮かべへんの?と面白かった。お風呂上りのほかほかの姪が床に転がされて体を拭かれている間、ほわ~っとしてされるがままなのが可愛かった。

 

妹の家にも遊びに行った。ベビーベッドの陰に隠れて飛び出す、という遊びをすると姪がすごく喜んで、何度も飛び出した。公園まで散歩して噴水を眺めたり、図書館で涼んだりして過ごした。妹も、私が行って嬉しそうだった。人があんまり訪ねて来ないので、気楽なのと寂しいのと両方あるんじゃないか。あくまでも私の推測だけど。

 

そうして5月の毎週末を実家で過ごし、いよいよ出張も終わり荒れ地の魔女宅へ帰る日が近づいてきた。出張先の会社でお昼ご飯の時に、「今まで一人暮らしが気楽で自由で本当に最高!!!って思っていたのですが 毎週末実家に帰って、家族と過ごして、自分の時間はないし誰かが話しかけたりしてうるさいけど、一人の家に帰るのかと思うと、寂しいです」と言った。自分が「寂しい」と言ってびっくりした。素直に「寂しい」を伝えたこともびっくりしたし、みなさん私が上記の短文を話したときにちゃんと聞いてくれてそれもなぜだか印象に残っている。「寂しい」なんて、私、いつぶりに言葉に出しただろうか。だって別に全然寂しくないから。まじで。本当に寂しくない。毎日忙しいし楽しいし自分の事にかかりっきりであれもこれもやりたくて、寂しさを感じることがない。というか、孤独で寂しいのは当たり前すぎて何も思わなくなっている、いちいち感じなくなっている、のか、まじで3年前の私と別人なので、寂しいかどうかに意識がいっていない、寂しいかどうかが自分の中の優先順位の高位ではない、どころか、ランク外。そう、HSPだから敏感で繊細で疲れやすい傷つきやすい影響を受けやすいとか、長女だから人に甘えるのが下手とか、そんな事を気にしていた3年前の私とは、もう本当に別人。そんな次元ではないのだ。そんなことを気にしていた、悩んでいた自分、本当に自分か不思議なくらい。あの時苦しんでいた自分、頑張ったね、かわいそうだったね、とかも、ない。まじで、何にもない。無。

 

荒れ地に戻ってから、「寂しいと感じて口に出して自分でびっくりした」と人に話したけど、今日仕事の合間にトイレに行ったときに、5月に寂しいを感じた時、ロボットに感情が入ったみたいな感じで面白かったな、いや、感情がないわけじゃなくて、まじで寂しいって普段1mmも思ってなくて久しぶりにその感情を感じた事が面白かったな、と思い出し、面白いから書いておこう、と思い、書いた。

 

母は「もっと出張があればいいのに。そしたら毎週帰って来れるのに。」と言った。私が帰ると嬉しいこと、毎週帰って来てほしいこと、がわかって嬉しかった。

 

妹は私とカフェに出かけて「姉ちゃんと一緒に来れて嬉しい。本当に楽しい。」と言った。嬉しい、楽しい、を素直に伝えられるのってすごいな、と思った。

 

妹は「一緒に住んでた時、ちゃんとできなかったことをずっと謝りたかった」と言った。それをちゃんと言えることがすごいし偉いわ、と、くらってしまって、「もう過去のことは忘れた」と照れ隠しにイラっとして言ってしまった。本当は泣きそうだった。私の方こそ、自分の事で精一杯で、妹のことを気遣いできなかったことを悔いていた。法事で年上の従妹を挟み、上の事を話した。歩きながら。妹には聞こえていたかいなかったか。

 

5月、姪の可愛さと、一番可愛い時期は今なのでは、今もっと会っておかないと、という計算と、実家で過ごす心地良さに味を占めた私は、7月にも帰り、姪に公園で遊んでもらい、妹孝行で水族館にも行った。5月初めに2足歩行がふらついており絵本や紙は全部破って食べていた姪は、5月末には足取りがしっかりし、7月は公園で一人で歩けるようになり、なんなら遠くまで勝手に歩いて探検に行くほどで(必ず帰っては来る)、絵本や紙を破ったり食べたりしなくなっていた。スプーンを握ってまぐれでお米を掬ったりした。水族館へ行った後のフードコートで、妹は、「〇〇が生まれてから〇〇と初めて外食に来れてめっちゃ嬉しい」と言った。初夏で、猛暑で、日差しが強くて、公園に咲くひまわりと青空のコントラストが鮮やかで、青々とした芝生が風にそよいで、沖縄民謡と太鼓の音がして、日焼けした。最高の連休だった。

 

次は夏休みを繋げて9月に帰省する。旅行じゃなくて、実家に帰って家族と過ごすのが楽しみ、と思う私がいるなんて。夏が終わるのは寂しいけど、会える日が待ち遠しい。